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まほろば唐松 中世の館・唐松城

まほろば唐松 中世の館・唐松城

情報

■唐松とは、物部伝承によると古代神功皇后が朝鮮半島の新羅を討征し、その後、この地に遠征して韓服(唐松)神社を祀ったことからこの名があるといわれている。唐松城は平安時代、陸奥の郡之司であった阿部貞任の弟、境講師官照の強固な城であったが康平6年(1063年)に源義家(八幡太郎義家)の攻撃にあい落城したと言い伝えられている中世の末期には羽州、淀川、繁街道の重要な分岐点であった唐松城周辺は、檜山(能代市)並びに湊(秋田市土崎)に拠点を置く安東氏の最前線基地として、数々の凄惨を極めた戦いが繰り広げられた古戦場である。※館内設置の説明文引用

●伝説によると平安末期、陸奥の郡之司であった阿部貞任の弟、境講師官照がここに館を築き一帯を支配していたが前九年の役(康平6年1063年)で源頼義・義家の攻撃にあい落城したと伝えられる。また、中世末期この地は、安東・戸沢・小野寺の勢力があい拮抗し、覇を競うことなるが淀川をはさんで秋田寄りの地帯は安東氏の勢力下にあったと推測されるため唐松城もある時期に於ては安東氏の最前線基地であったと考えられる。そして天正15年(1587)には、各勢力がこの地で激突し、世に言う「唐松家合戦」がおこった。このような言い伝えや歴史をもとにしてここに中世の館「唐松城」を建設した。※館内設置の説明文引用

その他

【関連項目】

まほろば唐松能楽殿

まほろば唐松定期能公演

◆その他の歴史的建造物・美術品はこちら

●ロケーションマップ1B(協和エリア)

地図
秋田県大仙市協和境字唐松岳(Googleマップ)